296、パニック障害が寛解

こんにちは!

再生整体 輪(りん)の樋口です。

 

今回はパニック障害が寛解した自分のことについてです。

  

目次

【パニック障害とは】

【発症】

【パニック障害の治療過程で腰痛発症】

【予兆】

【原因】

【寛解に至るために必要なこと】

【治ったと言える心の状態】

【自分の生き方を見つける】

 

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【パニック障害とは】

 

始めにパニック障害とは何か?については厚生労働省のホームページからお借りします。

 

パニック障害・不安障害

突然理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、吐き気、手足の震えといった発作(パニック発作)を起こし、そのために生活に支障が出ている状態をパニック障害といいます。

厚生労働省より

 

 

次にタイトルのところで「治癒」や「完治」と書かずに「寛解」と書いた理由を説明いたします。

 

治癒(ちゆ)

病気やけがなどがなおること。

 

完治(かんち)

病気やけがなどが完全に治ること。

 

寛解(かんかい)

病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。

goo国語辞書より

 

 

高血圧や糖尿病等の病気はある一定の数値を超えた時「病気」と診断されます。

しかしパニック障害という精神的な病気には数値基準がありません。

そのため「治った」という基準もないのです。

 

「数値的基準がない」ということもありますし、再発の可能性も否定できないためパニック障害には寛解という言葉を使います。

 

 

こちらのサイトでは「パニック障害が治る」基準を示していました。

 

あらたまこころのクリニック

パニック障害が治るとは?

それは、「パニック発作が起こっても大丈夫」と思えることだと、我々は考えています。

 

このように「数値」ではなく「心理状態・心のあり方」を基準としていました。

今回はこういったことを踏まえつつパニック障害と言いますか、私の病歴について書いていきます。

 

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【発症】

 

私は28歳の時、美容院で「貧血のような状態」になりその場でしばらく寝させてもらったことがありました。

17年前のこの頃はまだパニック障害という言葉すら知りませんでした。

 

2時間くらい経ったでしょうか、「貧血のような状態」が治まりそうになった頃、吐き気と大きい方の便意を催しました。

スタッフさんに連れられてフラフラのままトイレに行ったことを覚えています。

 

その後同じ様な状態になりそうなことが何回かありました。

振り返ってみると、美容院・歯医者・電車・バスでこの状態になりました。

 

後になってわかったのですが、いずれも自由の効かない状態になった瞬間に症状が現れました。

 

 

「これはおかしい」と思って病院に行きました。

始めは自律神経失調症と言われましたが、そこでもらった薬を飲んでも改善しません。

 

そこからいくつかの病院に行きました。

何個目の病院だったか忘れましたが精神病院に行った時、パニック障害と診断されそこで出された薬が効きました。

 

これが28歳から29歳ころのことです。

 

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【パニック障害の治療過程で腰痛発症】

 

自分にあった薬が見つかったのはよかったのですが、「薬を飲み続けるのはイヤ」だと思っていました。

薬は症状を軽減するものであって、病気を治すには体の改善が必要だとその頃からなんとなくわかっていたのでしょう。

 

2009年1月(31歳)苦手だった歯医者に行ってもパニック発作は出ませんでした。

この頃も薬を飲んでいたので日常、不安はありましたが支障はありませんでした。

 

体の改善のため禁煙に挑戦しました。

2009年2月(31歳)禁煙開始

 

しかしこれがいけませんでした。

2009年6月(32歳)腰痛で病院に行き坐骨神経痛と診断される

2009年6月(32歳)別の病院で腰椎椎間板ヘルニアと診断される

 

この腰痛に関しても色んな病院や治療院に行きました。

後になってわかったのですが、ストレスが原因の腰痛でした。

 

体調はまだ万全ではないのにその状態でタバコの我慢と仕事のストレス、私生活のストレスも加わって腰痛になりました。

心が体に影響するということを体験した出来事でした。

 

 

この頃はまだその事がわかっていないので病院(西洋医学)に頼りました。

神経根ブロック注射を5回と硬膜外ブロック注射を7回しました。

 

神経根ブロック注射は、痛みのレベルを10としたら1回注射するごとに1ずつよくなっていきました。

硬膜外ブロック注射ほとんど効果はありませんでした。

 

ちなみに神経根ブロック注射の時、お医者さんから「注射する時かなり痛い」と聞かされましたらその痛みはありませんでした。

 

神経根ブロック注射でマシにはなり、その後はペインクリニックに通って痛み止めを打ってもらっていましたが、対症療法であり根本の改善にはならないと思っていました。

 

そこで「最後」と思って大きな病院に行ったのですが、

2009年9月(32歳)かなり大きな病院で「後は手術しかない」と言われました。

 

その時私は「そんなはずはない」と思いました。

 

何を根拠にそう思ったのかはわかりませんが、手術以外で治ると思い込んでいたというか知っていたといいますか、「病院で無理なら他を探そう」と思いました。

 

そこから整体院や気功整体院、接骨院、鍼灸院、あん摩マッサージ、前世療法など色々行きました。

 

 

2009年11月(32歳)

色々行った結果、初回で「これはよくなっていく」と確信できたのが、後の整体の先生となる方の整体院でした。

 

この頃、腰痛がかなりよくなっていったので、パニック発作の薬を止めてみました。

しかし、薬を止めると体調が悪くなっていったので6日後に薬を再開しました。

 

この時「パニック発作の薬は一気に止めるのは難しい」ということを体験しました。

 

 

2010年7月(33歳)その先生のおかげで今の師匠に会うことができました。

そこからみるみるよくなっていきました。

 

そしてその2010年、私が33歳の時です。

9月までは毎日飲んでいたパニック発作の薬ですが、10月は13回、11月は10回、12月は2回飲むだけで済みました。

 

12月29日薬を飲まなくなって3週間、もう飲まずにいけそうと思えた、と記録しています。

この「状態を記録する」ということも役に立ちました。

この時タバコを辞めて1年10ヶ月経っていました。

 

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【予兆】

 

体に強い異常が出たのは2005年(28歳)の美容院で出たのが初めでしたが、振り返ればその予兆はありました。

 

1996年(19歳)花粉症と診断される

2000年(23歳)背中が痛くて会社を休む

2003年(26歳)3日間寝込んだギックリ腰

2003年(26歳)電車の中で気持ち悪くなって座り込んだ

 

健康に関して学んだ今ならわかるのですが、花粉症になっている時点で血液が汚れているのです。

その状態を続けていたので23歳の時に「背中が痛くなる」という症状が出ます。

さらにその状態を続けたので今度は3日間寝込みました。

同じ26歳の時、電車で気持ち悪くなったのですが、後になって思えばこれがパニック発作の症状だったと思います。

それでも生活を変えないので2005年(28歳)に大きな異常となって現れたのだと思います。

 

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【原因】

 

花粉症になったのは血液が汚れていたからです。

その主な原因は食事です。

 

以前は甘い物が好きでお菓子を好きなだけ食べていました。

それと普段の食事はほとんどインスタント食品でした。

ストレス管理もできていませんでした。

 

タバコは20歳を超えてから吸い始めました。

20歳から働き始めたので20代は仕事によるストレスも加わり始めました。

 

それら「食事に無関心」「喫煙」「ストレス」等が続いたことが病気になった根本の原因です。

 

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【寛解に至るために必要なこと】

 

まずは「パニック発作は治る」ということを知っておくのが一番大切だと思います。

かと言って「焦り」はよろしくありません。

自分で体験しましたが段階があり順序が必要です。

 

その段階と順序には「自力」部分と「他力」部分があります。

 

自力部分では「生活習慣の見直し」が必要です。

食事、運動、ストレス管理などです。

 

 

他力部分では「自分に合った整体(あん摩や鍼灸、リラクゼーションなど)に通うこと」が必要です。

心と体は一つなので体を整えることは心を整えることになります。 

自力部分の努力を続ける間、同時に自分に合ったお店で体をほぐしてもらいます。

 

そしてこれらの条件がそろってから「徐々に薬を減らしていく」ことと「自分にできることを徐々に増やしていく」ことが必要です。

 

「徐々に薬を減らしていく」これはお医者さんと相談しながら、自分の体調を確認しながら徐々にがよろしいと思います。

 

 

確か私は、

「1日3回1錠ずつ」を「1日2回1錠ずつ」に。

「1日2回1錠ずつ」を「1日1回1錠ずつ」に。

「1日1回1錠」を包丁で砕いて「1日1回半錠」、そして「1日1回1/4錠」に。

そして「2日に1回1/4錠」、「3日に1回1/4錠」に。

 

こういった段階を時間をかけて減らしていきました。

そして最後は、家に薬はあるけど飲まない状態で過ごすことができるようになり、たまに「危ないかも」と思う時だけ飲むようにしました。

 

 

「自分にできることを徐々に増やしていく」このポイントは「大丈夫を繰り返す」ことです。

私がしたのは「電車に乗る」ことを想定して「大丈夫ポイント」を細かく作って一つずつクリアしていきました。

 

1、朝起きて、部屋着のまま「電車に乗る」と想像だけします。

自分の胸に手を当てて自分の気持ちを聞きます。

「不安だ」という返事なら不安がなくなるまでこの工程だけを繰り返します。

 

これを数回繰り返して、心拍数が安定したままになれば次に移ります。

 

 

2、出かける時の服に着替えて「電車に乗る」と想像します。

これを数回繰り返して、心拍数が安定したままになれば次に移ります。

 

 

3、服を着替えて「電車に乗る」と想像して玄関を出ます。

これを数回繰り返して、心拍数が安定したままになれば次に移ります。

 

大切なのは焦って次の工程に飛ばないことです。

 

 

4、駅まで行きます。ここで心が安定していても電車には乗らずに帰ります。

そして「大丈夫」というのを心に刻みます。

 

これを数回繰り返して、心拍数が安定したままになれば次に移ります。

 

 

5、普通電車で一駅だけ乗ります。

降りて落ち着くまで座って、そして歩いて帰ります。

その方が運動にもなります。

 

この時は「電車に乗っても大丈夫だった」という喜びをいっぱい感じてください。

これを数回繰り返して、心拍数が安定したままになれば徐々に乗る区間を増やしていきます。

大切なのは焦らないこと、仮に発作が出ても落ち込まず自分ができた所を振り返ることです。

 

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【治ったと言える心の状態】

 

2022年2月現在、今はもう一時のようなずっと痛い腰痛はありません。

 

パニック発作もほとんど起こっていません。

2019年9月に一度だけ出ました。

 

この時は数日不調が続きましたが薬は飲まず、その後は普通の生活に戻れました。

パニック発作は出たけどそれがその後の恐怖心に繋がりませんでした。

 

これはもう「パニック発作が起こっても大丈夫」という心の状態ですので自分の中ではパニック発作は治っています。

薬を全く飲んでいない状態で不安感が無いというのが嬉しいです。

 

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【自分の生き方を見つける】

 

病気になって色んな病院に行ったけど治らなかった過去がありました。

薬のおかげで症状は抑えられていたけど、それが完治に繋がることはないとわかっていました。

 

それが整体のおかげで薬を完全に止めても大丈夫になった。

こういった体験があって、

 

2011年1月(34歳)整体をするため治療家への道を進み始めました。

この頃には腰痛もなく、パニック障害の薬も止めて発作が出るかもという恐怖感もほとんどなくなっていました。

 

そして

2014年5月(37歳)再生整体 輪(りん)がオープンしました。

 

 

受け身だった人生が能動的に変わり、10代からあった花粉症、26歳ころからの腰痛・パニック発作はほとんどが寛解し、45歳の今では若い頃より元気です。

 

この体験を活かし皆様の健康の一助になれればと思います。